心海の砂煙

もう1個のほうが使えない時用

小さな軌跡を

「先生?また戦争の資料ですか?」
「ん?ああ…」
「目を悪くしますよ。コーヒーいりますか?」
「ありがとう」
「ブラックですよね」
「ああ。」
学生戦争。
恐らく数多の学生が歴史の授業で耳にした日本の代表的内戦。日本が3つの軍にわかれ、学生までもを動員した、悲劇の戦争。
しかしその詳しい内容は、特に学生兵については資料が多く残っているとは言い難い。
学生戦争。
前世の僕達が生きた時代。
僕が、兎上由紀であった時代。
果てしない時が流れたこの世界に新たに生まれ出てから、沢山の知り合いに会った。
僕を執拗に好んだあの革命家を殺せなかった黒軍の青年とは高校が同じだった。左耳に枷はしていなかった。
 幼馴染みというには少々お互いを軽蔑しすぎていた少女…まあ、少女で良いだろう。彼女は随分女性らしくなって教え子になった。
そして戦地を共に駆け、僕を嫌いながら僕を支え、理解し、そして最後まで信じさせてくれたかの強き少女は、異国からやってきて僕の元で微かな前世の香りを懐かしんでいる。
僕が殺した革命家には出会っていない。彼はまたあの食えない微笑みをたたえて生きているのだろうか。今度こそ幸せになっているだろうか、あの不幸者は。
それに、戦地で一度だけ出会ったあの黒軍の少女。
…いや、やめよう。きっと考えるだけ野暮だ。

今の僕の話をしよう。
僕は歴史学を学んでいる。
僕達の生きた証を見つけたかったからだ。
兎上由紀は死ぬまでの間、多くのことをした。
他の者も、本当に多くのことをしてきたのだ。その生きた証を、僕は未来に残したいのだ。
誇り高く生きた兵士達の姿は忘れられていいものではないからだ。

「先生、杏子ちゃんが来てますよ?」
「ヨシキ!」
「…何故来た。」
「あのね、ワタシのね、本のね、」
「…ああ、あの作者新作だすのか」
「そう!ハヤク買うに行きたいノ!」
「もう20分待て。」
「わかった!」
「相変わらず仲良しですね、どうぞ。」
「勘違いしないでくれ。ありがとう。」
…兎上由紀。
立派に生きたお前が唯一できなかったことはこの僕がやってやろう。安心しろ、お前自身だった僕ならやれる。
…いや、いくら自分自身でも誇り高いお前は嫌がるだろうか。
なら僕の身勝手を報告させてくれ。
お前とは違って苦いコーヒーが飲めるようになった。ああ、まだ甘いものも好きだがな。
それに他人の世話を焼けるようになった。
他人の好みを理解できるようにもなった。
そして何よりお前のことを思い出せるようになった。
…お前のことを、お前の気持ちを遠慮せず考えられるようになった。
安心していい。お前は間違ってなどいなかったさ。
寂しかったな、兎上由紀。
辛かっただろう。泣きそうにもなっただろう。
何度も、立ち止まりたくなっただろう。

「そんなことは無いさ。」
「僕は正しい。だから僕は。」

「僕、は」

煙草に火をつけて肺に煙を通す。

当時の僕の小さな、曲げないように必死だった背筋が、上を見上げ涙を零さないように何度も強がった瞳が、

何処にも零せなかった弱音や不安が

「…今はそうやって泣いていればいい。どうせ僕自身しか見ない。」
夢の中でようやく叶った。
僕はそっと泣き虫な一学生の髪を撫で続けた。



「ヨシキ?」
「…ああ。帰ろう。」